2011年8月23日 (火)

震災と移住先探し2 沖縄へGO!

そして東京で単身赴任的生活 or 家族で移住という選択になれば、そりゃもちろん後者を選ぶ。そして移住先を探すことになった訳だ。岐阜出身の田舎者といってもかれこれ東京に12年ほど住み、東京でしか仕事をしたことがない人間にとってみれば首都圏以外の地域は完全に未知。アウェー感ハンパないのは簡単に想像できる。

でもどうせ移住するなら楽しみたい。これまでとはちょっと違うところに住んでみたい。なおかつ問題の原発から地理的にも一番遠いところということで俺の希望は南国・沖縄!!沖縄はさすがに遠い!という妻を説得し、沖縄に行くことにはなった。そしてひとまず目指すところは決まったものの、そうそう軽いノリで行ける場所ではない。新居を探しに行くのも一苦労。結局5月、7月とそれぞれ一週間程下見を兼ねて沖縄に行ってきた。5月の旅行は現地の飲み屋で夫婦バトルが勃発。その旅行は壮絶な終焉をみせた。もう沖縄はダメかもしれない。そんな風に思ったこともあった。諦めかけた沖縄を、どころか様々を。そんな谷もあり山もありみたいなことを経て、子供の誕生日もあった7月は物件探しに集中!子はカスガイ!!!滞在一週間で沖縄本島、北は今帰仁村から南は南城市までざっと25件ほどの物件をみた。

内見した25件の物件のうち、僕が本当に住みたくなった家があった。首里の物件で物凄く魅力的な物件があったのだ。物件が魅力的というか家主が魅力的だった。キジムナーみたいな建築家のオジイが勝手にどんどん改築していっているその物件は、まるでフンデルトヴァッサーみたいな意味不明な様相を呈しており、僕らが内見したまさにその時もキジムナーはさらに家を改築しようと工務店のおっさんとワイワイ相談している最中だった。そんな家の間貸し物件に物凄い魅力を感じていた。妻との相談の結果、その物件は日当たりや広さで諦めることになったけど、沖縄に住むことになった暁には必ずこのキジムナーと友達になりたいと願っている。

7月の中程に東京に戻り、東京の家に2日ほど滞在した後、妻子はまた妻の実家に戻っていった。今度会えるのは沖縄に引っ越す時だ。

沖縄では、これまでの東京都内での引越しのように数年のスパンで趣味のように部屋探しをしドキっと一目惚れするような物件に出会えたわけではない。しかし一回の渡航でウン十万もかかるような場所にそうそう物件探しにいける訳もなく、仕事のスケジュール的にも厳しいわけで、沖縄の家は今回探した物件の中で決めるしかなかった。いきなり田舎に行くという選択肢もあったが、本土から来た沖縄ビギナーがいきなりローカルエリアに溶け込めるのか、まずは東京に事務所を残して行き来しつつ仕事していこうというプランだから最初は空港に近いほうがいいのではないか、と考えた結果、最初は手探りに少しずつ沖縄を感じていこうということで那覇市に住むことにした。本当は庭で家庭菜園ができる平屋建てが希望だったのだけど、やはり那覇近郊ではなかなか条件に合う物件もなく、庭と平屋を諦めた。戸建て物件で上と下で別世帯が住む物件に決めた。どうかもう1世帯が素敵な人達でありますように。そう思うと東京の今のアパートは本当に最高だ。素敵な家族しか住んでない!本当に離れたくない!

これから沖縄物件の賃貸契約もろもろや引越し屋きめたり、仕事先に連絡したりと色々しなきゃいけない。引越しは9月頭に決めた。

マジで片付け面倒くさい!そして金かかるんじゃボケ!!東電許さん!!

つづく

 

投稿者 takeyama : 04:45

2011年8月 3日 (水)

「コクリコ坂から」観て泣いたよ(宮崎吾朗監督)

コクリコ坂から 公式サイト http://kokurikozaka.jp/

こないだジブリの新作「コクリコ坂から」を男2人で観てきた。最初自分一人で観に行くつもりでウェブで指定席買ってたので、昼飯一緒に食べてて何となく一緒にいくことになったキヨちゃんはチケット売り場に並んでチケット買った。

結果として本当これで助かったというか本当隣同士じゃなくてよかったわ。
ていうくらいに泣いたよ俺は。

震災起こるの分かってたの?!というくらいのピンポイントなテーマに時代背景に挿入歌。この時代を生きていた祖父母の世代と直接触れ合っていたから、頭ではなく感覚としてこの時代の空気がスーッと胸に入ってくる。そんな気がしたんだけどそれはアレでしょうか。おっさんの勘違いでしょうか。

宮崎吾朗監督の前作は本当にジブリ史上最高の駄作だと思うのだけど、今回素晴らしすぎて前作が改めて気になってきた。前作ゲド戦記はテーマがかなり高尚で、だがその難しいテーマにあえて挑んだ結果、途中で「もう面倒くせっ!言葉でそのまま言っちゃうよ俺は!」というようなある種気持よさすら感じる諦めがあった。

今作との違いは大きい。今作はそもそも言葉にできることしか描いてない。宮崎駿的な考えさせるマージンを残すという曖昧さがない。そういう意味で何も考えなくていいリラックス感。完全に見聞きできるストーリーの中に入り込める快感がある。でもそれ結局同じ事というか方法が違うだけで着地点同じみたいな。終盤の畳み掛けや過剰な音楽なんかもジブリっぽくないっていうか結構いい意味でえげつなかった。サマーウォーズ思い出した。

個人的にはカリオストロへのオマージュのように感じた坂のシーンが一番ヒット。

 

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投稿者 takeyama : 00:56

2011年8月 2日 (火)

震災と移住先探し1

震災どころか年をまたいでも全く更新してなかったけど、ぼちぼち再開。

2011年を迎えたと思ったのもつかの間、3.11の震災、そして原発。そこから心の時間はほとんど止まったままなんだけど、当たり前に時間は進むし生活は進むし子供はどんどん育っていく。ウチの場合、3/15以来、妻子は妻の実家の富山に避難してる。僕は東京で働きながら月に一度くらいの頻度で妻子に会いに行くみたいな状況がかれこれ5ヶ月続いている。

まあ放射能被曝にしきい値はないらしいのでリスクを避けるという意味では、特に小さな子供は逃げられるならできるだけ遠くに逃げたほうがいいし。そして遠くに逃げたほうが周りの状況もピリピリしてないだろうから、そういった意味でもストレスが少ないのかなと思う。

その点では夫婦間に意見の相違がなかったのは不幸中の幸いなのかもしれないが、こんな状況をいつまでも続けるわけにはいかない。考えられる選択肢としては、東京に妻子が戻ってくるか、どこか移住先を見つけて家族で移り住むか。その2拓だと思っていたのだけど、どうやらそうではなかったらしい。妻はもう東京に戻る気はないらしい。

僕の今の見解は、外部線量で言えば東京も富山もさほど違いはなく、しいて言えば食品の流通経路が東京の場合ほとんど東北・北関東からのものになる可能性が高い。でも事故後一ヶ月のタイミングで政府が的確な処置をしなかったばかりか、基準値をあげたため、放射能まみれの食肉牛から野菜からあげくは腐葉土までが全国にばらまかれているというのが現状のようだ。そうなるともう九州から野菜取り寄せたってそれがOKなのかどうなのか分からないレベルだろう。二次的なストレスなどを考えなければ、東京でピリピリとした緊張感の中、食品その他に気を使いながら暮らしている方が安全なんじゃないか。西日本ではきっと何の危機感もなくなんとなく安全だと思い、スーパーに並んでる野菜や肉を買っているだろう。そんな人達の方がもしかしたら内部被曝のリスクが高いような気さえしてしまう。

まあそんなことを1人で考えててもしょうがない。そんなことを家族で話し合えるような場を、まずは場所を、家族は一緒にいなくては話もできないのだ。

というわけで移住先を探すことになったわけだが、それはもうかれこれ数カ月前の話、それからというものお互いの実家を巻き込み、夫婦間でもバリバリバトル全開の日々をこなしながら、仕事もそこそこしながら、とにかく探した。

つづく

 

投稿者 takeyama : 02:28